ドムラス効率研究所

健康と効率を研究しています。人生を楽しく過ごしましょう!

努力した、という逃げ道

私、どちらかというと努力厨です。

・・・あ、聞きなじみがない方も多いと思うので、ちゃんと説明しますね(笑)

 

インターネット上では

「努力は実ったら良いけど、実らない場合もある。だから、努力をする、というのが先に立つのはおかしい。そもそも、努力よりもセンスが優先されるし、努力が出来るのも、その才能があるからだから、努力なんてものは関係ない」

というのと

「成功している人はすべからく努力している」(はじめの一歩要約)

という二つがあると思います。

 

後者のようなものに対して、度々「努力厨」という言葉が吐かれます。

・・・まあ、そうとう要約していますが、これで許してください(笑)

 

ハッキリ言って、私は努力しないと才能も開花しないと思うんですよね。

埋めて育ててない種は開花しません。

勿論、その努力の形を間違えている方や、そもそも適正が低いものに対して努力しても、実ることはないので、無駄と言えることもあるでしょう。

だから、「努力をするのも才能だ」という言葉になるんでしょうけどね。

 

ただ、それを結局「才能があった」に収束させるのはどうかと思います。

自分の才能があるのを知っているから努力したんじゃなくて、努力した先に才能があった、と私は思うからです。

勿論、努力した先に才能がなければ、それにかけた時間は徒労ともいえるかもしれません。

 

しかし、人は学習する生き物です。

これを徒労として処理するのか、次のものへのステップと捉えるのかは、その人の学習能力の問題でしょう。

 

私は努力をするのに最も重要なのは、効率化だと思います。

それは簡単な理由で、無駄を省いていかないと努力の質がどんどん下がっていくからです。

その次に大切なのは、自分が嫌にならないこと。

そもそも努力というものの認識が、今の人たちは歪んでいると思います。

 

努力は苦労して、辛い思いをして、嫌になりながらもするもの。

だから、それが報われなければ、「努力は無駄だった」という解釈になるんだと思います。

 

でも、その過程が嫌なことではなく、楽しいことだとしたら、それは努力という認識ですらないでしょう。

例えば、好きなスポーツでかっこ良いプレイをするには、地道な練習が必要になると思います。

最終的にそれが出来なくても、そこに行く過程での能力は無駄にならないので、本人からすれば、それは努力ですらないでしょう。

 

しかし、嫌いな勉強で地道に勉強をしても、テストで良い点が取れなければ、それは徒労に感じてしまいますね。

確実に頭には入っているとしても、嫌いなものであれば、結果としてそれが出ない場合、無駄に感じてしまうわけです。

 

これが、意味のある努力と、無駄な努力に分かれる原因ではないかと思います。

そして、この無駄を省くのが、効率化です。

 

例えば、前者のスポーツであれば、できなければ、何故できないのかを考えますよね。

筋力不足、柔軟性不足、バランス力不足・・・様々な原因を考えて、そのプレイをするのに必要な練習を最短で考えると思います。

それが、効率化ですね。

 

勉強の場合に、結果が出なければ無駄な時間だった、となるのはそこから効率化が始まらないからです。

では、何故点が伸びなかったのか?

何が面白くなかったのか?

何故頭に入らなかったのか?

この辺をつぶしていくのが重要ですが、嫌いなものに関しては「やはり努力の無駄だ」で終わってしまうわけです。

 

そして何より、「私は努力したけど駄目だった」という逃げ道を自分で作ってしまうわけですね。

好きなものに関しては、例えば、一番大きな大会が終わっても「ここまで努力したけど駄目だったなら仕方ない、次に生かそう」になるのに対して、

嫌いなものに関しては「こんなに努力したのに結果が出ないから無駄だったんだ」となるわけです。

そもそも、好きなものに対しては「努力したけど」という印象すらないかもしれませんけどね。

 

だから、結局大切なのは努力の解釈なのです。

やって結果どうなったか。

勿論、結果も大切です。

でも、やったことで、他の事に生かせるし、そもそもそれをどう生かすのかはその人次第です。

それを「無駄な努力」と片付けるのは簡単な話ですからね。

 

何より「努力したけど駄目だった」というのは逃げだと認識してください。

・・・あ、逃げるのがダメとは言いません。

好きなことや、しないといけないことに対して、「努力したけど駄目だった」と逃げるのはだめ、ということです。

私も、他所の子と始めた逆立ちの練習からは逃げました(笑)

 

好きなことから逃げるのはもったいないじゃないですか。

勿論、好きでも手放さないといけないこともあるので、その時は「努力したのに駄目だった」と逃げましょう。

私もテニス部の時はラリーが好きでしたが、結局ネットプレーの方が適正が高かったので、そちらに逃げました。

空手では複雑なコンビネーションは捨てて、1.2ハイキックのパターンだけに固めたりしましたが、それでも勝ててたので、逃げることも時には大切ですけどね。

 

でも、その努力は無駄ではありません。

次に生きるし、自分の適性を判断する材料になったわけですからね。

・・・そして、このブログ内でも逃げたことがあります。

次に「生きる」じゃなくて、「活きる」ですよね。

面倒なので許してください!


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