聞いていることに対して、自分の好きなことを答えるやつが多い。日本人の以心伝心の心得はどこへ・・・?
昨日ツイッターを見ていたら、
「中学の時、広島に原爆が落ちたのはなぜか?と聞かれて、『制空権を取られたからです』と答えたら担任に睨まれた。なにも間違っていないのに」
というものが流れてきました。
これ、高校生が言っているのであれば、
まあ、イキってるだけだし仕方ないね、
となりますが、大人が言っていたら大分まずいですよね。
本質の質問を捉えようとすることなく、表面的な部分に対してしか答えられていないのにもかかわらず、自分が大正解を言っているように思っている。
何より、本人はそれを悪いとも何とも思っていないわけですし・・・まず過ぎるでしょ。
そして、これをみて「間違っていないですね」っていうコメントが多かったのも恐怖。
昔、何かのコピペで
「外人から見ると、日本人は色々なことを察していて、忍者みたいだ!以心伝心の心は本当にあるんだな」
っていうようなものがありました。
日本人は人の心の機微を捉える能力にたけており、空気を読む、というのが出来ることを称賛するコピペですね。
しかし、いつだかから、空気を読むのは相手の顔色を窺っているだけだ、という意味不明な論調が強くなり、空気を読む必要が無くなってきているように感じます。
でも、効率的に考えると、以心伝心の心って、非常に重要なんですよね。
上の返答も、はっきり言って、本人とそれに同調する数名は喜んでいるでしょうけど、他の生徒からしたらただただ滑っているようにしか感じられないでしょ。
ただ時間の浪費と、後悔オナニーでしかありません。
おお!すごいぞ!お前そんなこと言えるんだな!
なーんて誰も思いません。
そして、正解でもないので、本当に意味がなく、しかも空気を悪くしているだけ、っていう意味のなさです。
ここで先生の求めている回答は「何故原爆を落とされる事態になったのか」でしょう。
それは別に難しいことでも、本当の回答を求めているわけでもなく、形式美として、「戦争はしてはいけないもの」というものを再確認させるものだと思います。
それをちゃかしているのだから、そりゃにらまれるでしょうね。
そして、茶化しているわけでなく、本気で言っているのであれば・・・ちょっと本当にまずいです。
昨今の人は自分のこたえたいことを答えることが多いように感じます。
あ、お年寄りになるとそういうことって増えるんですよね。
脳みその問題でブレーキが利かなくなったりするので、自分の話したいことだけ話すようになったりするのです。
あ、小学生以下のこどもでもあることですかね。
だから、言ってしまえば定型発達できていないんです。
仮に大人でまだそれに満足しているのであれば、いまだに定型発達できていないと言えるでしょうね。
早く気が付いてほしいなぁ。
私は日本人の以心伝心は素晴らしいと思います。
そして、私自身、この能力にはすごく自信があります。
「いや、なんで何も言ってないのにそれ出せた?」
って言われることが非常に多かったからですね。
これが出来ると、物事がすごくスムーズに動くようになります。
言葉を減らせるから作業が早くなるわけですね。
やりすぎると、その相手と別の人の関係性が壊れますけどね。伝わらないから(笑)
過去の話は全て成長のための糧だと私は思っています。
ガム噛んで先生に怒られたことも、それをうまく潜り抜けたことも。
教科書破ったことも、椅子を壊したことも。
全て、恥ずべきことです。
だって、物壊してよいわけないですからね(笑)
それを誇ってたらただのおさるさんです。
話のネタにはなりますが、それは恥ずかしい過去の話ですね。
武勇伝に語っているのであれば、ちょっとレベルが低すぎますね・・・。
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