闇の異世界へようこそ・・・①なぜ人を殺してはいけないか
今日から始まる、シリーズだ。
クックック・・・痛い話をしていこうじゃないか。
当事者には悪いが、厨二病をこじらせた連中が好みそうなネタを書いていくぞ。
これを書くときの人格は厨二病をこじらせているので、このシリーズはため口で行くぜ。
記念すべき第一弾は「何故人を殺してはいけないか」だ。
一時期、某掲示板や、まとめサイトで頻繁に出ていた「人を殺してはいけないのを、感情論抜きで語って下さい」というやつ。
馬鹿な話題だな・・・と思って流し見ていたが、俺なりの解釈を書いていこう。
このルールの根っこにあるものは、「感情論抜き」というものだ。
だから「自分の仲の良い人間が殺されたら悲しい」とか「殺し合いが始まってしまう」とかっていうのは禁止カードになる。
そもそも、そんな感情がなければ人を殺すという必要もなくなる気がするけどな。
もしかしたら、この話をしないといけない根底には食料のひっ迫や、土地の制限というものもはじめはあったのかもしれない。
それとか、安楽死とか、死刑審判だな。
そういうものがあった上で、これが語られていたのだとすると、色々と厄介になるが、効率の話にはなるだろう。
効率とは、時には残酷で人間の心を捨てた考え方をするのも一興だったりする。
最高率のものを考えた後、モラルをはめ込んで、しちゃいけないことをクリアしていくことで、本当に効率よいものとは生まれるからだ。
無能は首にすればよい、とは効率、利益順守であれば正解なのだが、使えないからと言って、人を首にしてはいけない。
勿論、本来人の集まりというのはなにかしら利益を生む前提であるので、無能も囲まないといけない、というのは変な話ではあるのだがな。
効率厨としてはっきり言ってしまえば、無期懲役なんていうのは、土地と人件費と食事と・・・様々な無駄でしかない。
だって、そいつが居なければ、場所がいらなくなり、それを管理、保護する人間たちの役割もいらなくなるわけだ。
一人の人間を保護するには、食事係、洗濯係、管理係と、様々な役割が必要になる。
勿論、それによって雇用が生まれている、という考え方もあるので、絶対不要とも言えない難しい問題だろうけどな。
そうやって考えていくと、今のように「雇用を生むという利点がある」というように別の答えが出てくるわけだ。
そして、その考えは仕事や、発展、後進の育成など、色々な面に波及していける。
話がずれたが・・・。
人を殺してはいけない理由は、効率厨的には「生産性や発展性が落ちるから」としか言いようがない。
上記の話に合わせれば、無能にも仕事を回さなければいけない。
その点で、無能に仕事を回す、という仕事も生まれる。
そして、無能が行った仕事は、誰かを助ける仕事になる。
そうしないと、それがそもそも仕事として成り立たないからだ。
本当は例を出したいが、例を出すと、絶対にどこかから攻撃されるので、かけないのが事実だ。
無能とは関係のないところでも、仕事は多く生まれる。
例えば、俺の職業は整体師だ。
残念ながら、身体の悪い人がいることで、成り立つ仕事と言える。
ある意味では、俺たちが存在しないで良い世界は、医療技術がすごく、皆健康である世界。
もしくは、不調や死を自然なものとして受け入れられる世界だろう。
身体の悪い人が一人いれば、交通機関、医療、衣服、履物、食事など、様々な雇用が生まれる。
そして、そこから様々な技術や能力が生まれる。
だから、身体が悪い人も実際には世界には必要だったりする。
それが発展性だ。
なにより、身体が悪くても能力の高い人は多くいる。
それを「肉体労働ができないのであれば生きる価値はない」と捨てるのは、思考が終わっている。
人を殺す、というのはそういう可能性をつぶす、ということにもつながってしまうのだ。
だからこそ、人を殺すというのは、感情論を抜きにしてはいけないことになる。
どんな人でも、世界を発展させる可能性は持っているし、どんな人でも、雇用などを生む可能性は持っているからだ。
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