私は話し合いがしたいんじゃなくて、物事を解決したいのです
以前の会社で最も嫌いだったところは、ミーティングがただの話し合いだったことです。
議題を上げてもお互いに言いたいことだけ言って終わり。
聞きたいことだけ聞いて終わり。
解決策が出ないまま、終わり。
多分、世の中の無駄なミーティングって、どこもこんな感じなのかなぁ、と思います。
と、言うのも、世の中「長時間したらそれが良いもの」という認識があるように思います。
受験勉強なんかも「毎日8時間しましょう」とか言いませんでした?
成果ではなく、どのくらいその物事に向き合ったかを重要視する人は多いんですよね。
だから、ミーティングも「物事を解決する」よりも「意見をぶつけ合い、言い合いをする」方が時間がかかり、白熱するから、その形になるのではないかと思います。
一番厄介なのが、それに気が付けていないことですね。
時間がかかり、お互いのテンションが上がるので、議題として挙がっているものが解決していないにも関わらず、満足してしまうのです。
そもそも、「ミーティングで何か議題がありますか?」という発言すらもおかしいと思うのです。
何か問題が起こるから、何か不具合が起きているから、ミーティングをするのであって、何も問題はないけど、一応形として毎回する、というものが先行した場合、議題を無理やりに挙げなくてはなりません。
なんて無駄な労力なのでしょう。
だから、実際に必要となったときには、決まることがなく終わったりするのです。
普段から決められた日程でダラダラと意味のない言葉のぶつけ合いをしているのだから、頭の中がクリアになるわけないですよね。
ミーティングは、基本的には物事を解決するために行うものです。
整体業界も同じだったりするのですが、結構物事って有耶無耶に終わることがあります。
例えば、
「何故身体が治らないのですか?」
今までの負担が残っているからです。
「それを治すにはどうすれば良いですか?」
しっかりと通ってください。
「私が自分で出来ることは?」
姿勢に気を付けてください。
「何故私は悪くなったのですか?」
身体のケアをしていないからです。
・・・という会話は整体院では良くされます。
読んだらスーッと入ってきますが、よくよく見ると、何も解決していないですよね。
具体的な解決策は全く出ていないと言っても過言ではありません。
私はしつこいほどキッチリと説明するので、結構嫌がられたりします(笑)
ただ、その分本気の人だけ残るので良かったりするんですけどね。
この、私の説明を嫌がる人、というのも、結局は身体を治すフリをしているのです。
身体が悪いから整体に行っている。
それが目的となっており、治すこと自体は目的から外れてしまうのです。
嘘だと思うでしょうけど、ミーティングと同じでそういう流れになってしまうんですよね。
物事を本当に解決したい人は、マインドを変えないといけません。
ちゃんとやりたいのか、やった感を大事にしたいのか。
要領の悪い人は特に後者を大事にしてしまっています。
そこの認識の修正から行ってくださいね。
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自己責任という難しさ
私、自己責任という言葉が好きなんですよね。
最強の自己責任を求めて、無人島暮らしをしたいと思ったほどです(笑)
昨今、責任感のない人は増えてきています。
そもそも、責任を押し付ける人も増えていたりしますし、いざ「責任を取る」と言っていても、その場で逃げる人も居ます。
・・・まあ、うちの前の会社の社長なんですけど(笑)
自由には責任が伴う、というのもよく聞きますね。
まあ、そりゃ自分の好きにするんだから、全部自分に責任が返ってくるのは当たり前の話で。
私のいう、最強の自己責任、無人島暮らしも、結局は最大限の自由に、自分で責任を取らないと死ぬ、という最大限の責任が来るわけです。
この言葉を嬉々として使う人は嫌いですけどね(笑)
責任の伴わない自由はただの自己中なので、難しい話です。
では、本題。
ツイッターで「こんな暑い中、中学生たちが部活で外を走っている。今すぐに辞めさせたい」という旨のツイートが伸びてました。
そのリプに「僕たちの青春を奪わないでください。倒れる倒れないは自己責任を負います」というようなものがありました。
これに対してコメント欄では「学生さんのうちは自己責任は認められない」という旨の話が出てました。
そもそも論として。
暑い中で運動しているだけでは熱中症になりません。
脱水症状で汗がかけなくなり、体温調整ができなくなると、身体がオーバーヒートして、熱中症になるのです。
なので、そもそも暑いから運動中止しろ、というのもおかしい問題ではあるのですが・・・。
あと、塩分塩分言う人も居ますが、正直別に要りません。
真夏に断食をして、塩分を10日間取らなかった私が、熱のこもった体育館で空手やっても、炎天下でテニスをしても大丈夫だったので。
むしろ、塩分を取ることで体内の塩分濃度を上げるほうが危ないんじゃないかと思いますけどね。
とにかく、水分は沢山摂らせることに異論はありませんが。
話を戻しますが・・・。
私が中学生の頃は上がっても31度くらいでしたが、今は35度とかまで上がるから、運動を中止させたい、という気持ちはわかります。
でも、学生さんのいう通り、部活に青春をかけている子もいるでしょうし、それを無理やり中止させる、というのもかわいそうな話ですよね。
でも、彼らが倒れたとき、彼らがいくら「自己責任で練習します!」と言ったところで、監督不行き届きで学校がやり玉に挙げられるのも、わかりきっている問題です。
まあ、そもそもその炎天下で部活をしている学校への苦言なので、学校側もあまり深刻には考えていないのでしょうけどね。
ただ、やる!やめる!っていう両極端な考え方はどうなのかなぁ、と思います。
「部活なんかよりも命が優先!」という意見もあるでしょうけど、部活に青春掛けている子たちからすると、それは厄介でしょ。
多分、スポーツをしていない側で、インテリの人たちの意見なんでしょうけどね。
インテリ且つスポーツをしている私からすると、その解決策を探すべきだと思っています(笑)
勿論、脳筋な考え方はタブーですけどね。
根性でなんとかしろ!っていうのもお門違いです。
昔は水分なんて摂らなくても大丈夫だった、というのは気温の変化を考慮していないから論外です。
自己責任、というのは社会人になってようやく少しずつ貰える権利です。
でも、それまでは逆に言えば、自己責任を持っている大人が守ってあげないといけません。
とはいえ、昨今、自己責任から逃げる大人もふえてきているので、すごく難しい話だな、とは思うわけですが。
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努力した、という逃げ道
私、どちらかというと努力厨です。
・・・あ、聞きなじみがない方も多いと思うので、ちゃんと説明しますね(笑)
インターネット上では
「努力は実ったら良いけど、実らない場合もある。だから、努力をする、というのが先に立つのはおかしい。そもそも、努力よりもセンスが優先されるし、努力が出来るのも、その才能があるからだから、努力なんてものは関係ない」
というのと
「成功している人はすべからく努力している」(はじめの一歩要約)
という二つがあると思います。
後者のようなものに対して、度々「努力厨」という言葉が吐かれます。
・・・まあ、そうとう要約していますが、これで許してください(笑)
ハッキリ言って、私は努力しないと才能も開花しないと思うんですよね。
埋めて育ててない種は開花しません。
勿論、その努力の形を間違えている方や、そもそも適正が低いものに対して努力しても、実ることはないので、無駄と言えることもあるでしょう。
だから、「努力をするのも才能だ」という言葉になるんでしょうけどね。
ただ、それを結局「才能があった」に収束させるのはどうかと思います。
自分の才能があるのを知っているから努力したんじゃなくて、努力した先に才能があった、と私は思うからです。
勿論、努力した先に才能がなければ、それにかけた時間は徒労ともいえるかもしれません。
しかし、人は学習する生き物です。
これを徒労として処理するのか、次のものへのステップと捉えるのかは、その人の学習能力の問題でしょう。
私は努力をするのに最も重要なのは、効率化だと思います。
それは簡単な理由で、無駄を省いていかないと努力の質がどんどん下がっていくからです。
その次に大切なのは、自分が嫌にならないこと。
そもそも努力というものの認識が、今の人たちは歪んでいると思います。
努力は苦労して、辛い思いをして、嫌になりながらもするもの。
だから、それが報われなければ、「努力は無駄だった」という解釈になるんだと思います。
でも、その過程が嫌なことではなく、楽しいことだとしたら、それは努力という認識ですらないでしょう。
例えば、好きなスポーツでかっこ良いプレイをするには、地道な練習が必要になると思います。
最終的にそれが出来なくても、そこに行く過程での能力は無駄にならないので、本人からすれば、それは努力ですらないでしょう。
しかし、嫌いな勉強で地道に勉強をしても、テストで良い点が取れなければ、それは徒労に感じてしまいますね。
確実に頭には入っているとしても、嫌いなものであれば、結果としてそれが出ない場合、無駄に感じてしまうわけです。
これが、意味のある努力と、無駄な努力に分かれる原因ではないかと思います。
そして、この無駄を省くのが、効率化です。
例えば、前者のスポーツであれば、できなければ、何故できないのかを考えますよね。
筋力不足、柔軟性不足、バランス力不足・・・様々な原因を考えて、そのプレイをするのに必要な練習を最短で考えると思います。
それが、効率化ですね。
勉強の場合に、結果が出なければ無駄な時間だった、となるのはそこから効率化が始まらないからです。
では、何故点が伸びなかったのか?
何が面白くなかったのか?
何故頭に入らなかったのか?
この辺をつぶしていくのが重要ですが、嫌いなものに関しては「やはり努力の無駄だ」で終わってしまうわけです。
そして何より、「私は努力したけど駄目だった」という逃げ道を自分で作ってしまうわけですね。
好きなものに関しては、例えば、一番大きな大会が終わっても「ここまで努力したけど駄目だったなら仕方ない、次に生かそう」になるのに対して、
嫌いなものに関しては「こんなに努力したのに結果が出ないから無駄だったんだ」となるわけです。
そもそも、好きなものに対しては「努力したけど」という印象すらないかもしれませんけどね。
だから、結局大切なのは努力の解釈なのです。
やって結果どうなったか。
勿論、結果も大切です。
でも、やったことで、他の事に生かせるし、そもそもそれをどう生かすのかはその人次第です。
それを「無駄な努力」と片付けるのは簡単な話ですからね。
何より「努力したけど駄目だった」というのは逃げだと認識してください。
・・・あ、逃げるのがダメとは言いません。
好きなことや、しないといけないことに対して、「努力したけど駄目だった」と逃げるのはだめ、ということです。
私も、他所の子と始めた逆立ちの練習からは逃げました(笑)
好きなことから逃げるのはもったいないじゃないですか。
勿論、好きでも手放さないといけないこともあるので、その時は「努力したのに駄目だった」と逃げましょう。
私もテニス部の時はラリーが好きでしたが、結局ネットプレーの方が適正が高かったので、そちらに逃げました。
空手では複雑なコンビネーションは捨てて、1.2ハイキックのパターンだけに固めたりしましたが、それでも勝ててたので、逃げることも時には大切ですけどね。
でも、その努力は無駄ではありません。
次に生きるし、自分の適性を判断する材料になったわけですからね。
・・・そして、このブログ内でも逃げたことがあります。
次に「生きる」じゃなくて、「活きる」ですよね。
面倒なので許してください!
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スポーツ経験のなさそうなサッカーファンが嫌い
私、サッカーの試合見るの嫌いなんですよね。
スピーディなスポーツなので、本来は面白いはずなのですが、観戦となると本当に嫌。
するのは全然良くて、砂浜でやったりもしました。
砂浜でのサッカー面白いんですよね!
足が取られるので、ゴリゴリに筋力勝負。
一時期九州に居たのですが、真夏でも砂浜はガラガラだったのでできました。
今思うと超贅沢な遊びだったなぁ、と思います。
関東じゃ真冬にしかできない(笑)
んで、サッカーの何が嫌いって・・・。
あの、少し小突かれただけでずっこけるやつ。
むしろ、当たってなくても超能力でもぶっ飛ぶことありますよね。
あれがあまりにも女々しくて本当に嫌いなんです。
女子サッカーのほうがワイルドにやってる(笑)
んで、更に嫌いなのが、サッカーファン。
「当たってないのにこけるとかwww女々しいスポーツだなwww」
っていうと、大体が
「わかってないな。あれも戦略なんだよ。スポーツしたことないやつにはわからないけどな」
って湧いてくるやつ。
演技力ありきの接触勝負のスポーツ・・・?
勿論、ファールを貰ってチャンスをつかむっていうのは分るんですよ。
一流選手になればなるほど、その演技が上手いっていうのも聞きますし。
でも、昨今のショート動画とか、スロー動画とか見ていると、ただただダサいっていう感想を持つのは普通のこと。
冬にやる高校サッカーは面白いと思います。
高校生は過剰な演技がないから見てて面白いですもんね。
でも、上手くなれば上手くなるほど、ファールを貰う演技を向上させないといけないスポーツって・・・それ、スポーツとして破綻していますよね。
その反面、インタビューとかではイキってるのが本当に鼻につく(笑)
野球の場合、そういうものに対してはアレルギーがすごいですよね。
この間の高校野球では、1球ごとに打席を変える学生が居ましたが、それも賛否両論でした。
面白いのが、野球に詳しければ詳しいほど、避難を浴びせていたように見えたものです。
何故か、野球は正々堂々、品行方正が求められているんですよね。
選手の年棒とかは、こういうスポーツとして伝統にちゃんとなるかどうかがカギなのかもしれませんね。
2位は
Jリーグは4億(大迫選手)
プロ野球6億(柳田選手など数名)
Jリーグで1億越えは30人。
プロ野球で1億越えは100人程度。
この年棒から考えると、商業としては、野球の方が期待できるのでしょうね。
それが、ファンやプレイヤーが多いからだったり、ファングッズの売れ行きだったりに影響するんじゃないかなぁ、と思います。
まあ、年棒に関してはJリーグはイニエスタ選手だけずば抜けてるので、あまり参考になりませんけどね。
年棒に関しては、サッカー選手は試合数が少ないというハンデもあるんでしょうけど。
野球は144試合とかしますもんね。
サッカーは調べた限りでは34試合なんですって。
試合数が少ないけど、1試合は激しいから、ケガしないようにファールを貰う演技力が高まったと考えると、それもなんだかなぁ、という感じはしますけどね。
私の以前の上司は推薦を貰うくらいのサッカー少年だったらしいですが、
「接触プレーでファール貰うの悔しいから維持で転ばなかったわ」
と言っていました。
そりゃ、闘争心の高い人間がするのがスポーツですし、倒れて良かれと思っているのって、スポーツから外れてるような気がしますよね。
そう考えると、ファール擁護派のファンて、ただスポーツをみているだけの人で、スポーツマンじゃないんだろうなぁ、と感じてしまいます。
だって、スポーツやってたら倒れるの恥ずかしいじゃないですか。
私だったらそれは戦術に入らないなぁ。
相手の嫌なことをするとかは良いと思いますけどね。
それで相手のミスを誘うのは戦術と言えますし。
でも、演技するっていうのは・・・戦術とは言えないんじゃないかなぁ・・・。
草野球でランナーの時、投手をキレさせたことはありましたけどね(笑)
「なんなんだよあいつ!」って聞こえるように言われたなぁ。
そこから変調していたのはかわいそうでした。
それは戦術。
サッカーのファールアピールは、野球だとデッドボールを過剰にアピールでしょうし、それはやっちゃいけないことじゃないかなぁ、と思いますけどね。
ガチのサッカーファンとは仲良くなれる気がしないなぁ、と思うわけです。
子供のサッカーは見てると面白いのになぁ。
まあ、野球みたいに過剰に反応するのもどうかとは思いますけどね(笑)
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軸を持つことで人生は楽に過ごせる
私、中学生のころから一貫した幹を持つように生きていました。
腕っぷしが強く、頭の回転も良かったので、いじめられっこではなかったのですが、群れるのが嫌いだったので、面白くない集まりは全部避けてたら周りから人が居なくなっていたんです(笑)
それでも、私に魅力を感じる人達は寄ってきてくれてましたけどね。
変な話、同級生よりも先生とか上、下級生との方が仲が良かったなぁ、と思います。
多分、メンタルの弱い子だったら、集団が嫌になるんでしょうね。
でも、そんなのから逃げてても仕方ないとそのころから思っていたので、とりあえず、自分の幹を強く持つことにしていました。
お陰様で、中学生のころから一人で出かけたり、遊びに行ったり、今は食事も一人で行けるだけの図太さになっています。
一人しゃぶしゃぶとか結構楽(笑)
結局、人から攻撃されたりするのって、相手に気に食わないところがあるからなんでしょうね。
見た目を気にしたこともなかったのですが、一匹狼気質だったので、中学はめちゃくちゃモテてました。
中学生って、やっぱりちょっと悪い感じに惹かれるじゃないですか。
それがヒットしたんでしょうね。
それが気に食わないから余計に同級生は周りに居なかったんでしょうけど(笑)
ただ、結局攻撃されようが何されようが、私自身楽しいことをするのが軸にはあったので、それが会う仲の良い友達は数名いました。
正直、その友達が数名いればあとはどうでもよかったので、余計に避けられていたのでしょうけどね。
そこで私が順応しようとしていたら、きっと嫌われていたでしょう。
それが一時期言われていたキョロ充ってやつですね。
周りに合わせて自分を強く見せようと、順応できているように見せようとするものです。
勿論、人間である以上、集団の中に属することでの安心感や、満足感、充足感はあるでしょう。
でも、生きにくい人というのは、それが軸になってしまい、自分の個を殺してしまうから生きにくくなるんだろうなぁ、と思います。
自分を抑え込んで生きにくい中で過ごしていくのと、自分を解放して生きるところを模索していくのは、両方とも辛いですが、人によって辛さのレベルは異なるんでしょうね。
それが合わないほうを選んでしまったときには、そもそも生きているのが辛くなるんだと思います。
私は後者なので、長時間がありますが、彼女は前者なのでいつも忙しそうです。
それでも、お互いに楽しく過ごしているので、人の適正って様々なんだなぁ、と思います。
社会に出るとそれを試す機会って激減するんですよね。
選ぶんじゃなくて、順応することが求められます。
だから、自分の適性を理解できていない人の場合には、無理やり順応しようとして、パンクして、様々な病気になるんでんしょうね。
逆に言えば、学生というのはそういう機会が豊富にあると思います。
あ、この集団いるのきつい、と思えば、離れればよいです。
社会人と違って、何十年と働くわけではありませんし。
私自身、高校では1.2年はカースト上位のグループにはじめはいましたが、気持ち悪くなったので離れたら、幽霊みたいな存在になっていました(笑)
球技に関しては得意だったので、完全に消えることはありませんでしたけどね。
仲良しこよしで何処に行くのもずっと一緒、いなくなったらつまはじき、みたいな気持ち悪さが2年間ありました。
3年になってからは、つるむ必要はないけど、面白いことをするときにワーワーやる、というのがカースト上位のグループだったので、そこに居ましたけどね。
勿論、カースト上位に入れるからえらい、素晴らしい、なんてものはありません。
結局、自分が過ごしやすい場所をただただ探すしかないわけですから。
高校一年の時の親友が、クラスが離れたらカースト下位の連中にいじめられて退学したこともありました。
彼は優しかったので、そんな連中ともつるんでたんでしょうけどね。
一度だけ廊下であった時、一緒につるんで、その連中を追っ払ったときがありましたが、あの時がターニングポイントで、彼からのヘルプだったのかもしれません。
思い出すと悔しいです。
でも、それも彼がそのグループに入ってしまったのと、私に明確なヘルプを出せなかったのも悪いのかもしれません。
だから、軸を持つことが大切なのです。
まあ、私もその時クラスでつまはじきものだったので、学校の中を俳諧してたんですけどね!(笑)
彼との違いは、その集団に入っていることを選ぶかどうかだったんでしょうね。
楽しくない気持ち悪いクラスを抜けて、一人で楽しいことを探していました。
彼は、その集団の中で平和に暮らすのを模索していたのでしょうね。
今どうしているのかわかりませんが・・・。
しんどいグループに入ってしまった人は、一瞬エネルギーを使ってそこを離れた方が良いです。
そちらの方が、長い目で見たときエネルギーの消費は少ないですから。
これは効率的な考え方ですね。
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自律神経の嘘
整体院で働いていると、面白いことに嘘のような話も沢山流れてきます。
流れてくる、というか患者さんが変な話持ってきてくれるんですよね。
その中でも多いのが、自律神経の話。
同業者でもですが、病院の医者もわけわからないことを言っていたり、病院で働くリハビリ師も変なことを言っていたりします。
変なことならまだ良いのですが、良かれと思って言ったことが真逆のことだったりもするんですよね。
「それ、間違っているので信じないでやめてください」
ともいうのですが、大体の人が最初は聞いてくれません。
そりゃ、片田舎の整体師よりも、お医者さんの方がそりゃ信頼感は大きいですもんね。
ただ、理論的に説明すると、皆さん理解してくれます。
医療関係って、勉強量が多くて広いくせにわかりにくくて、書いている人によって説明が全く違ったりするので、厄介なんですよね。
人間の解剖学の授業を獣医師がしていたり、某国家資格を持った整体師が生理学を教えていたり、なんだか混沌とした世界です。
勿論、お医者さんが学ぶレベルになれば、それは違うんでしょうけどね。
自律神経の問題で一番多いのが、お風呂に入るか否か。
皆さん、なんとなくお風呂はリラックス効果があると信じているのですが、普通に考えてそんなものはありません。
だってそうですよね。
そんなんでリラックスできるのであれば、この暑い夏はずっとリラックスしているはずですもん。
でも、リラックスしている人なんているはずもなく、実際にはイライラしている人の方が圧倒的に多いのです。
汗も沢山かいているはずなのに、余計にイライラしますよね。
全く持って矛盾しています。
だから、本当は自律神経が乱れているのであれば、熱い風呂なんて入ってはいけないんです。
勿論、筋肉を柔らかくするためにお風呂に入るのは良いんですけどね。
身体の熱を出すために筋肉を緩めて、血流をよくするわけですから。
でも、リラックスするためにお風呂に入るというのは、どうかなぁ。
まあ、そもそも自律神経の乱れが強い人はお風呂に長時間入れませんけどね。
逆に寒い時は血液を内側に集めるので、副交感神経の方が入りやすいように思います。
勿論、寒いという刺激そのものが交感神経を刺激するので、ずっと寒いところにいるというのはナンセンスですけどね。
サウナは自律神経を無視して無理やり血管や、内臓の血流を良くするので、結果的に最後は自律神経が整います。
熱い風呂やサウナだけの場合には、ひたすら筋肉に血を回しているだけなので、自律神経は整わないんですよね。
外身だけでなく、中身の方にも血をガンガン回すには、やはり冷やすのも大切です。
サウナについてはこの間書いているので、そちらもご覧ください。
まあ、何にしても、自律神経というものは難しい話が多いです。
嘘の情報も沢山流れています。
なので、簡単に信じないようにしましょうね。
・・・って書いている私も筋の通らないことを言っている可能性がありますよ(笑)
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昔は品位と並行して年収があった。今は品位が関係ない時代になっている。
私、医療系の国家資格を二つ持っています。
基本的に先生達からは
「半年前から勉強しないと間に合わないぞ」
と言われることが非常に多かったのですが、私自身、勉強がめちゃくちゃ綺麗だったので、嫌だ嫌だとごねにごねて一つ目は1か月前、もう一つは4日前から真面目に勉強しだしました。
それでも、そこそこ優秀な成績で通り抜けたので、我ながら要領よすぎだよなぁ、と思ったりします。
では、そんな直前まで何をしていたのか、というと。
頭を使える身体作りをずっとしていました。
その話はおいおいするとして・・・まあ、言ってしまえば基本的には、散歩と読書なんですけどね。
読書も嫌いですが、食わず嫌いは良くない、と思ってしてみたところ、案の定途中で飽きてしまったので、多分決定的に合わないんでしょうね。
ただ、本を読む習慣がないので、読んだ本からの吸収力は我ながら自身があります。
その中で、読んだ本の話を一つ。
タイトルは覚えていませんが、ビートたけしの本だったと記憶しています。
選んだ理由は超簡単。
ブックオフで100円で読みやすそうだったから。
超簡単に言うと、今の世の中は変だ、って話だった気がします。
2010年くらい・・・もっと前に出た本かな。
その時に見て「確かに」と思っていましたが、いまだにふと思い出して「更に悪くなっているんじゃないか?」と思うので、先見の明がすごいんだなぁ、と思います。
その中で一番残っているのが
「今は高級店もお金を払えば入れるようになっているし、入る側もお金しか気にしていない」
というものです。
昔は、その人の器が大きくなるにつれて給料が増え、行けるお店のグレードが上がって・・・としていたはずなのですが、今は良くも悪くも、器が小さい人間でも稼げるような時代です。
そして、稼げれば高いお店でも行けるような、人間の謙虚さもどんどん時代と共になくなっています。
器がないと高い店に行っちゃだめなのかよ!と言われるかもしれませんが、そりゃそうですよ。
だってその場にいる他の器の大きい人を不愉快にさせる可能性があるわけですから。
「客なんだからほかの客なんて関係ないだろ!」っていう考え方をするのであれば別ですが、そういう人はまさに器が小さい典型ですね。
私はお金があっても、高い店は緊張します。
正直、サイゼとか、やっすい居酒屋で十分なレベルです(笑)
それくらい、高貴なお店の敷居には威厳があると思っています。
何より、高いお店って別に美味いとかものが良いのではなく、サービスが良い、という点が一番だと思うんですよね。
整体業界なんかは特にそれが強いですね。
「えっ、この人めっちゃ下手じゃん」と思うような人でも、時間当たりの値段は私より取っていたりします。
腕の良しあしは主観的なものになりますが、その人が直接私に教えて、と言ってきたので、そこは間違っていないでしょう。
ただ、食事をしているときや、勉強会中の動きは確かに配慮が出来ているし、教えてくれる先生に対しても気分を持ち上げるのが上手なので、そこにも患者さんは惹かれて通い、お金を払うのでしょうね。
飲食店も同じで、きれいな器に配慮された盛り付けなど、様々なことが考えて、サービスされています。
そのサービスの良さを認識するには、これまた器が必要です。
だから、高い店に行くには、お金を払う以上に器が重要だと思うのです。
そして、そういうサービスにまだまだ遠慮してしまう私は、高級店には行けないなあ、と思うわけです。
・・・なんて言いましたが、サービスの行き届いてるお店って、こちらの自由が少ないから、私からするとまどろっこしいんですよね(笑)
演出もいらないし、お世話もいらないので、手早く良いものを手に入れたい私には全く合いませんし、そういうものに価値を感じない私の場合、高級店はただの無駄金でしかありません。
逆に言うと、そういうものを選ぶ権利を持つためには、お金を沢山持つ必要もあるわけですけどね。
ただ、結局高級なものの価値をちゃんと手に入れるには、器や品位が大切です。
何よりそこそこの質のものも知っていないと、良いものを判断することもできませんしね。
以前来られた大社長の患者さんは
「美味いと聞けば安くても高くてもどこにでも食いに行く」
と言っていました。
オススメのお店を聞くと、値段は関係なく教えてくれましたが、調べたらとても行けるお店ではなかったのを覚えています(笑)
まあ、その方はうちのことを気に入ってくれて、身体を預けてくれたので、うちの整体院もある意味では高級店としては合格だったのかもしれませんね!(笑)
お金だけでなく、品位を高めていきましょうね、というお話。
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